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あなたの為のコンタクトレンズ

スポーツビジョンでは、問題点が眼のハードにあるのかソフトにあるのか、原因をみきわめて対処していきます。スポーツの問題点と眼の関係の一例を、次に挙げてみます。 テニスで、右眼に気持ちが乗りすぎている右打ちの選手は、バックハンドのトップスピンがかかりやすく、フォアハンドは遅れる傾向がある。
野球で、狭くしぼり込んだ眼の使い方をする人は、フライ捕球が苦手。 外の眼と内の眼の外れやすい人、つまり心が想像の世界に向かいやすい人は、ファインプレーをするが凡ミスも多く、成績のムラがある。
集中過多の見方をする人は、ケガや故障を起こしやすいなどです。 スポーツビジョンといえば、トレーニングがよく挙げられます。
電車の中から看板を読み取る、ボールに文字を書いて投げてもらい読み取る、といった内容を聞いたことがあるかもしれません。 最近は、グッズやパソコンの画面を使ったトレーニングがふえていますが、これらは初心者の誘導に用いるレベルです。
実際に効果をあげるトレーニングにするためには、眼の専門家のみならず、眼と心・技・体の関係をみきわめる眼を持った指導者に学び、日常生活の中で磨くことが秘訣です。 眼球運動トレーニングのところでも書きましたが、最終的にはスポーツや自分のやりたいことの中で結果を出すことが目的なので、トレーニングのためのトレーニングにならないような指導が望まれます。
改まったトレーニングではなく、日頃のちょっとした眼使い、たとえば上眼使いや下眼使いなどを変えるだけで、パフォーマンスが向上する例もありますいかにして眼から最高の入力を得るかです。野球のバッターでいえば、入力は、ボールがスローモーションのように、あるいは止まって見えるかで、出力は、最高のスイングができるかです。 野球でもテニスでも、身体の動きがなく、ボールを見ているだけならよく見えます。
また、対象物がなければ、素振りは素晴らしいものになります。 しかし、いざ実戦となったとき、入力と出力のつながりが不可欠となるわけですが、これがそう簡単にはいきません。

意識や心や動作が、眼の邪魔をするからです。 これに関しては、イチロー選手のコメントから探ってみましょう。
彼ほどのレベルでも、常に悩み、極めるところまで行っていないことがうかがえます。 打ちたくない球を、勝手に打っちゃうときはあります。
アタマでは止めたいと思っているのに、体が打てると反応しちゃいます。 それは、しようと思ってやっていることではないのです。
イチロー選手については、「動体視力がよい」というコメントもよく耳にします。 動体視力という言葉は、今では一般にも広く知られていますが、私にはその言葉だけが一人歩きしているように思えます。
動体視力の検査とは、自動車試験場で経験された人もいるかと思いますが、箱の中をのぞいていると、小さな点のようなC形の視力表が時速30キロに換算されたスピードで徐々に近づいてきて、だんだん大きくなります。 C形の開いた部分がわかった時点でボタンを押すと、動体視力1.0とか0.5などと数値化される仕組みです。
動体視力という言葉に対する一般の概念は、動くものがよく見える、スピードに対する反応が早いなどです。 一般の人は、視力表や動体視力計の数値がよければ、それですべての眼の能力が評価されたととらえがちですが、それらは眼の総合的な能力を評価するものではなく、ある部分を、特定の条件の中で定量化するための検査にすぎないのです。
動体視力計の値が2.0であっても、一軍に上がれない選球眼の悪いプロ野球選手は数多くいます。 ほかに、スポーツビジョン測定としてよく行われている、瞬間視や周辺視、眼と手の協調、深視力など、私も測定機器を使って調べますが、眼の統合能力を一つの検査で測ることはできません。

そして、数値が全部高くてもよい眼とはいえません。 測定機器を使った検査は、バランスを探ったり、本人が眼の使い方を自覚するための参考に使います。
私が重視しているのは、両眼視機能をもとにした内の眼と外の眼のつなぎ方、眼球運動の質の高さ、体の動きを固めない眼の使い方。 センサーとしての眼の力です。
そして身体へどう連動させるか。 両眼視機能や、内の眼、外の眼、眼球運動については、実際に測定ができます。
センサーと身体とのつながりは数値化できず、体感の違いでしか判断できませんが、視力が低いにもかかわらず、イチロー選手の眼がボールをとらえる理由は、ここにあるのではないかと思います。 それは次のコメントにも感じられます。
打撃は、ボールを打つ瞬間に生じる狂いを調整するための体の使いかたがすべて。 そしてその誤差を修正するセンサーを持つことこそが大事。
どのようなセンサーを目指すかによって世界は変わってきます。 人間は意識にのぼる0.5秒前に物事を感知しており、音品識は遅れているという説(ベンジャミン・リベット)がありますが、その0.5秒の世界を支配すれば、イチロー選手をはるかに超える選手が現れることも夢ではありません。
イチロー選手の眼の話題や、アメリカから入ってきた経緯を見ると、スポーツビジョンは新しい分野のように思われがちです。 しかし、実は昔から日本にはスポーツビジョンをはるかに超える、眼についての指導法が存在しています。
それは「武術の眼」です。 さまざまな武術がありますが、どんな流派においても、技を伝承する伝書の中には、必ず目付けのことが書かれています。
有名なものは宮本武蔵の『五輪書』の中にある、「観の目強く。見の目弱く」という言葉です。 アメリカ的なスポーツビジョンは、部分の分析から入り、眼と手の協応といった部分の指導やトレーニングで向上を図るものですが、武術の眼は、入力から出力全体、心・技・体を統一した稽古の中に、使える眼ができていく感じです。

宮本武蔵の表現でもわかるように、それを表す細かな言葉はありません。 身体感覚で身につけるために、マニュアル本のような詳細な言葉で表現しないところに、超人的な眼の能力を持つためのプロセスがあります。
私が武術の眼の凄さを感じ、眼の使い方やものの見方の指導に取り入れるようになったのは、宇城憲治氏という空手の達人に出会ったことがきっかけです。 私が目指す究極の眼は宇城師範が持つ眼だと思っているのです。
師範の指導する心道流の教えは、「眼」「姿勢」「瞬発力(勢い)」です。 この教えからも、入力である眼と、出力である身体動作をつなぐシステムが確立されていることがうかがえます。
武術には「型」というものがあり、その中に眼を鍛えるシステムも含まれています。 これは生死をかけた戦いの中から生み出され、何百年もの歴史を経て検証されたものから、深さや重み、質が違います。
型から抽出された眼の使い方は、スポーツ選手に限らず、不安な眼、自信を失った眼など、力や勢いのない眼を、輝きある眼に変えてくれます。 歴史の中で生死をかけて生まれたような武術では、「意識より0.5秒前を身体は知っている」という説が、すでに体現されているのではないかと思います。
武術をしない人にとっても、日常生活の中に眼の力をつくる動作が存在します。 それは、日本文化である正座や礼といったものです。
ここで眼と心と身体を一つにしたときに湧き起こる力の一例が、宇城師範のいわれる正座です。 眼の光学的な部分を鍛えるアメリカ的なスポーツビジョントレーニングと違い、数値化されない不満足感が残るかもしれませんが、人間全体として見たときの「生きる力になる」への道しるべとなるはずです。

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